今週火曜のTBSラジオDigで、往年の名スタンドオフ松尾雄治さんらと、ラグビーW杯特集をやりました。
私が小学5年の時に松尾さんが明治の1年生スクラムハーフで大学日本一に。私はお世話になった小学校の校長の息子さんがリコーの選手だったので、小学生だてらにその年のリコーとの日本選手権を見に国立に行きました。
試合は伊藤忠幸さん(この方が私の小学校の校長の息子さんで往年の全日本の名ウイングでした)や水谷さんや村田さん、後川さん、井沢さん、山本巌さんといった蒼々たる日本代表メンバーを擁するリコーの圧勝でしたが、その後松尾さんは大学1年で全日本入り。
当時スクラムハーフは、その後全日本の監督として名を馳せた早稲田の宿沢さん、その後ニュースキャスターになられた慶応の上田さん、近鉄の今里さんらのタレント揃いで大変な激戦区でしたが、松尾さんはそれを勝ち抜いての日本代表入りでした。
ところが、その後、明治の北島監督の鶴の一声で、松尾さんはスタンドオフにコンバート。
その翌年、私は桐蔭学園に入り、ラグビー部でスタンドオフに。松尾さんが今監督をやられている成城大学の付属の成城学園中学などとは宿敵で、何度も対戦しました。(桐蔭は根っからの男子校だったので、成城や青学、成蹊、慶応中等部のような共学の学校とやるときは黄色い声援でいつも調子が狂って、あり得ないようなミスを連発してました。)
私が中学2年の時に松尾さんの明治は藤原や星野を擁する早稲田に勝って再び大学日本一に、その余勢を駆って日本選手権でも三菱自工京都を破り日本一になりました。(学生が社会人を破って日本一になるのは当時でもめったにない大変なことでした。今ではもうあり得ないほど力の差がついています。)
その後の松尾さんがキャプテンとして臨んだジャパンのウエールズ戦(確か29対24くらいででもうちょっとのところで大金星を逃した試合でした。ちなみに1975年のウエールズ戦では82対6で日本が負けています。)や釜石の奇跡の7連覇など、ラグビー選手としての足跡の一部始終をいちラグビー選手として見てきた身としては、その松尾さんとTBSラジオのスタジオに並んで座って番組をやるのはちょっと不思議な感覚でした。
相方の竹内さんがしきりと、「今日の神保さんは緊張してる」と笑っていましたが、最初は本当に緊張しました。無理もありません。とにかくずっと目標にしてきた選手だったのですから。仕事で緊張するのは、駆け出し記者の時代以来初めてのことかもしれない。
火曜までTBSラジオDIGのサイトでポッドキャストで聞けます。よかったらどうぞ。
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